Cogitatio

思考した事を綴っています

血液型診断という「浅はかな推論」

およそ妄想的な仮説には「突然の思いつき」的なものもあるが一方で「浅はかな推論」からも生まれる。

例えば、文明と人種についてこんな仮説を唱えてみよう。
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21世紀の現代世界を見渡してみると欧米のように白人中心の国家が最も先進の科学技術や理論を扱い、生活レベルも豊かであるのに対し、アフリカなど黒人中心の国家においては最新の技術は生活に根付いておらず、生活レベルも低い。

これは1国の例だけではなく、世界の多くの国を見渡しても同様の傾向がみられる。すなわち、白人は発達した叡智を持ち、それを活用することができるが、黒人はそのような能力を持たないと言えるのではないか。

端的に言えば、白人は賢く、黒人はバカだということである。
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さて、私はこれを「浅はかな推論」と呼ぶ。

この「浅はかな推論」の面倒なところは、単なる「空想」だけで出来ているのではなく
「客観的な観測と傾向分析に基づいた仮説だ」と思いこまれてしまう事があることだ。

日本人の多くは「白人が優秀で黒人が劣等である」という評価に対して否定的であろうと思う。そして、明確な根拠のないこのような差別は断じて行われるべきではないと考えるだろう。

「なぜ一部の白人は"肌の色が黒い"というだけで黒人を劣等扱いするのか。こんな不当な差別はないし、逆にそうした差別をしている人間の愚かさは見るに堪えない。」

こう感じる日本人も多いかもしれない。

※そもそも「黒人」との呼称が差別的意味を含むか否かという語源議論はここでは置く。

だが、一方で私はこの「浅はかな推論」を日本文化の中にも見つけることができる。それは「血液型診断」である。

血液型診断は知っていても「そもそも血液型とは何か」を知らない人も多かろうと考えられるのでまずはそこから紹介してみたい。


●血液型とは何か
そもそも血液型とは、血球の持つ抗原による分類であり、赤血球・血小板・白血球・血漿などに数百種類が見つかっている。その組み合せパターンは1つの種類だけでも数万通りあるものもあり、全ての種類を掛け合わせると天文学的な数になる。

そこでまず血液型に関する情報をいくつか整理してみたいと思う。

まず一つ目。血液型の分類は数百種類も存在し、ABO式はその中の1つの分類方法に過ぎない事。皆さんが「血液型何?」と聞くのは大体ABO式の事である。赤血球の免疫反応に影響する抗原の種類で分類される方法のことだが、他にも分類方法はたくさんある。

赤血球型  ABO、MN、P、Rh、Lewis、Lutheran、Kell、Ss、Duffy、Kidd、 Diego、I、Xg、Sid.Cad、ABOの亜型
白血球型  HLA-A、B、C、D、DR、DP、DQ、顆粒球抗原 など
血小板型  Duzo、PlA1、PlA2、Koa、Kob、 PlE1、PlE2、Leka、Baka、 Yuka、Yukbなど
血清型  Al、Hp、Tf、Gm、Km、Am、Gc、Ag、Lp、Cp、Pi、Xm など

一般的に自分の血液型として知っているのは赤血球型の一番初めに書いたABO式(主にA型、B型、O型、AB型の4種)に加えて、Rh式程度だろう。例えば私はRh+のA型であるがそれ以外の血液型分類で自分が何に当てはまるのかは知らない。

ではなぜ、この2つの分類方式だけ一般個人に認識されている事が多いのか?

実は、ABO式やRh式は、その抗原の特徴から組み合わせによって自然抗体ができ凝結してしまったりする為、輸血などの時に注意が必要なのである。よって、医学構造的に知っておくほうが便利で、知る機会が多いのが「ABO式」と「Rh式」という訳だ。

ちなみに他の分類の、例えばHLA型であっても、適した型でなければ、他人の体に入れる訳にはいかない。だが、HLAを他人に移さなければいけないのは骨髄移植などの時だけなので、必要になってから調べれば十分という理由から日常的に知られていないだけである。

結論:血液型はABO式以外にも数百種類あり、これらの組み合わせは天文学的数字であり、全てが一致する人間などほぼいない。例えばABO式だと同じB型だが、その他の血液型の種類では全く異なる人もいれば、ABO式だと血液型が異なるが、他の血液型では結構同じものだった。という人もいるかもしれない。

そして、一般的な人にABO式だけが広く認知されているのは、医学的に有用だからに過ぎない。


次に二つ目。
そもそもABO式自体について、A、B、O、ABの4種類しかないと思われているが、実はそうではない。その4種類が多いだけで、それ以外の型の人間もいる。

<ABO方式の血液型>
A型、B型、O型、AB型、Bombay(Oh)型 、para-Bombey型 、-D-型 、Ko型 、p型
Jr(a-)型 、fy(a-)型 、Dy(b-)型 、Rh null型

これらは人数が少ない為、稀血と呼ばれたりするが「血液型何型?」と聞いて「p型」という返事がある事もあり得るという事だ。

結論:ABO式ですら、4パターンには収まらない。


三つ目。
ABO式の血液型は骨髄移植などで変わるということ。

骨髄とは、硬い骨の内側にあるゼリー状の組織で、血液をつくるのがその役割である。
骨髄の主な成分である骨髄液には、造血幹細胞があり、これが分裂増殖していくときに、赤血球、白血球、血小板に分化していく。この分化がうまくいかずに白血球が増え続けるのが「白血病」。赤血球、白血球、血小板ともに減少するのが「再生不良性貧血」と呼ばれ、これらを治すために骨髄移植という手術が行われる。正常な人の骨髄から、骨髄液と造血幹細胞を取り出して、患者に移植する方法のことである。

骨髄移植で重視されるのは先ほども述べたHLA(ヒト白血球抗原)と呼ばれる組織適合抗原で、このHLAの型が同じでないと、強い拒絶反応が起こるため骨髄移植はできない。そしてこのHLAの型の種類は非常に多く、適合するドナー(骨髄提供登録者)を見つけることは大変困難である。

しかし、HLAが適合しさえすれば、ABO型を決める赤血球の血液型が適合する必要はない。そのため、骨髄移植でA型の人の骨髄をO型の人に移植したところ、徐々にO型であった血液型がA型に変化するという現象が起こる。

他にも、細菌によって血液型が変わったり、肝臓移植によって血液型が変わる等という例がある。血液型は特に何もなければ変わるきっかけがない為、一生変わらないケースが多いというだけである。

結論:血液型は途中で変わる事がある。

四つ目。
ABO型に分類される血液型成分は、脳にはほとんどまわっていないという事。
(血液中の8%のみ)

例えば、セロトニンが脳内に不足するとイライラするという事がわかっている。思考や感情は脳によって作り出されるものであり、セロトニンはその中枢神経に存在する神経伝達物質である。故に、その脳内において活動する物質が、思考や感情に影響を与えるということである。

一方、ABO式の血液型の場合、脳に対する影響はひどく小さい上にそもそも神経伝達物質でもない為、脳の活動に影響を及ぼす可能性はほぼないと考えられる。

結論:ABO式の血液成分はほとんど脳には行かない。またそもそも、赤血球の抗原自体が神経伝達物質ではない為、精神や感情に影響を与える性質のものではない。


<結論整理>
1:血液型はABO式以外にも数百種類あり、完全に血液型が一致する人間などほぼいない。またその中でABO式が広く認知されているのは、医学的に有用だからに過ぎない。
2:ABO式ですら、4パターンには収まらない。
3:血液型は途中で変わる事がある。
4:ABO式の血液成分はほとんど脳には行かない。またそもそも、赤血球の抗原自体が神経伝達物質ではない為、精神や感情に影響を与える性質のものではない。

この4点の特徴からだけでも、ABO式の血液型分類は体の構成要素の分類法ではあるが
人間の精神的な部分に影響を及ぼす可能性は、まずあり得ないと考えるのが自然である。あるいは、もし血液型が精神的な部分に影響を与えるとすれば、ABO式以外の血液型の合致性による影響も考えねばならずABO式だけが精神的な部分に影響を与えていると考えるのは非常に浅はかである。

故に、実際の科学分野でも「ABO式血液型が人間の気質・性格に影響を与える」との仮説は立てられず生命科学分野では検証も研究も行われていないのが実状だ。

血液型診断を信じる者は「なぜちゃんと研究されないのか!」と批判的になるかもしれないが通常、根拠のない仮説が立てられる事はない。

例えば

・髪の毛の太さが0.1mm以上の人は淋しがり屋だ。とか
・瞳(黒目)の大きさが白目の80%未満の人は運動が苦手だ。とか

そういった主張を行う場合、その根拠となる何らかの「気づき」や「推論」がなければ、それは「仮説」ではなくただの「空想」でしかない。

もちろん、体を構成する要素の違いなのだから、精神的に何らかの影響を与えないと言い切る事は難しい。だが、それを言えば全く同じ体の人間などいないのだから、無限に検証すべき項目があるという事になる。

例えば、体の反応という意味で言うなら

・同じ花粉症でもスギに反応する人は「神経質」だが、ブタクサに反応する人は「いい加減」である。
・卵アレルギーの人は「優柔不断」だが、ソバアレルギーの人は「決断力が高い」

などそのような分類調査が行われても不思議ではない。
いや、むしろ日常生活に直接影響のあるアレルギー要素なのだから、血液型なんかよりも精神的な影響は強いと考えられて然るべきである。

例えば、私が論拠を勝手に想像するなら「卵は様々に形を変えて多様な料理に使われる為、卵アレルギー患者はアレルギーが出ないように料理内容を慎重に比較検討するようなクセが付き、結果、何についても即決できない性格になる。」といった性格への影響がありうるという事だ。

だが、しかし客観的な感覚からすればスギに反応する人と、ブタクサに反応する人で、性格が違う。などという発想は、非常に妄想的であり、何かのきっかけからそう思い込んでいるだけだと捉えられるだろう。まして、ABO式血液型など言われない限り周りから知り得ないレベルのごく微小な体内構成の違いが目に見えて性格に影響を与えるなどという暴論は、よほど騙されやすい人間でなければ信じようがない。

もちろんこれはABO式性格診断に対する科学的な否定ではない。よって、これをもって「気質や性格はわからない」と否定する事自体はできない。

まずは「血液型」という存在そのものから見て、気質や性格に影響を与える可能性は低く、それ故に科学的な分野で「仮説化」される事も少ない。という事実を知って頂きたいのである。

さて、では、にも関わらず、なぜ血液型診断は信じられているのか?

恐らく先述のような「血液型の構造の話」だけを聞いて「信じる」人はいない。根拠が示されていないからだ。

むしろ「構造なんて知らない。そんな科学的な部分には興味はない」「だけど信じる要素が別にある」この2点が成り立った時に、血液型診断は盲目的に信じられる事になる。

では、次のステップへ移る。


●心理学的理由
さて、血液型診断を信じている人の多くは「構造の違いとかはわからない。でも、当たってると思うんだよ。経験上そう感じる」と言うだろう。そう感じるのは、ほとんどが心理学的な錯覚だと考えられる。

いくつかその心理的効果の例を紹介してみよう。

フリーサイズ効果
誰にでも当てはまる事を定義づけ、当たっているように思わせる事。例えば「おとめ座の人は、一人でいると淋しい気持ちになりやすい」と規定する。恐らくこの現象は星座に関わらず、ほぼ全ての人に当てはまる。だが、あえて「おとめ座」と指定することで「おとめ座」の人は「そういえば、私はそうだ!」と特異的な特徴だと感じてしまうのである。

②ラベリング効果
同じく誰にでも存在しうる性格の特徴を、A、B、O、ABに当てはめ(ラベリングし)、固有の特徴だと思い込ませる方法。例えば「B型は自分勝手だ」という特徴を信じた者は、次から「B型」の人間と接した時にそのラベルに引きずられて、その人を判断するようになってしまう。他の人でも起こりうるレベルの「自分勝手な振る舞い」であっても「ああ、やっぱりB型だからこういう行動をとるんだな」と決めつけて見るようになるという訳だ。単純な暗示作用である。

③インプリティング効果
一度、特徴的なことで「当たっている」と感じてしまうと、そのせいで自分はそういう性格なのだと刷り込まれてしまう事。「やっぱり私はおとめ座だから淋しがり屋なんだ」と事あるごとに感じてしまうようになる。

この手法は、広告などのマーケティングでもよく使われる方法である。例えばマクドナルドのCMを何度も聞いていると、街中でそのイントロを聞いただけで食べたくなったりする。

このように「フリーサイズ効果」に過ぎないものであっても「ラべリング」によって定義づけられてしまうとその後「インプリンティング」され続けて「正しいような気がする」という現在の日本の血液型信仰が作り上げられていくという訳だ。

例えばこんな感じである。
K子「あなたA型でしょ?」
M子「いや、O型だけど」
K子「えー!そうなの?あーでも、なんとなくわかる」

ありがちな会話だが、K子さんの心理がまさにこの錯覚である。K子さんは最初「M子さんにはA型っぽい特徴がある」と思い込んで「A型でしょ?」と聞いた。ところが実際はO型だった事がわかり、今度は「O型っぽい特徴がないか」を無意識に探し始めその特徴を見つけて「なんとなくわかる」と肯定的に当てはめる。K子さんは仮にM子さんが「B型だよ」と言っても、恐らく同じような反応をしただろう。

勿論例外もある。「どう見てもA型には見えないなぁ」という会話も聞く事があるが、これも「A型」のラべリングを信じているから出てくる感想であって、既にインプリンティングされてしまっている。という事でもある。

「血液型診断は嘘だ」という立場から見れば、A型に見えなくたって何の問題もないし、むしろ当たり前の事である。だが「血液型診断は本当だ」という立場から見ると「A型なのに、A型っぽくないなぁ」と不思議な気持ちになるのだろう。

よほど偏った人間でなければ、人は細かい部分や大雑把な部分の両方を持ち合わせているし協調的な部分や自己主張出来ない面もあれば、妙に我儘だったり自分勝手な部分もある。その程度の流動性はフリーサイズの範囲内に収まってしまう。あとは、ラベル(その人が自分の血液型を何と言うか)を与えられれば、その傾向を結び付けて考えるようになるという事だ。

更には、ずばり思っていた通りの血液型だった時に感じる「やっぱり!」という気持ちの方が強く記憶に残る事で「血液型診断の正統性」そのものがインプリンティングされていくケースもあるだろう。

また、稀にひどく自己主張が強いなど際立った特徴を持つ人間もいるだろう。だがそれは血液型のせいではなく、生まれや育ちや遺伝子による影響と見る方が良い。ABO式血液型のせいであれば、そのように際立った特徴の人間もまた結構な割合で存在しないといけないからだ。100人に1人しかいないレベルの個性を持っているのが血液型のせいなら、その人の血液型も100人に1人しかいない血液型でないとおかしい。一般的なA、B、O、ABの4種のいずれかであればそのような際立った個性には結びつかないはずである。

だが、ではそのラべリングに説得力を感じてしまうのは何故だろうか?それは単に「確かにそう感じる!」という先述した心理印象が最大の要因だと考えられるが、これを強固にするものとして冒頭で述べた「浅はかな推論」が加わるのである。


●浅はかな推論
例えば、ヨーロッパのある村の住民を集めてアンケートを取ってみる。その村は屈強で毛深い男たちが多く、大酒飲みが多かった。一方、その妻達は毛も薄く、ほどほどにしか酒も嗜まない。この結果を見て「毛深い人間は、酒に強い」という「浅はかな推論」が成り立つ。

だが実際に「酒が強いかどうか」は「アルコールを分解する酵素を持っているかどうか」という体質的違いであって、当たり前だが、毛深い人間にも酒が弱い者はいるし、毛の薄い人間にも酒が強い者はいる。

だが、事実を適切に捉えられない者から見ると「毛深い人間のほとんどが酒に強い」という環境の中で、たまたま「毛深いクセに酒が飲めない者」を見つけたとしても、これはイレギュラー(統計上のエラー値)だと切り捨ててしまうだろう。よって、このアンケート結果を正しい(=毛深い人間は酒に強い)との判断に至る事になる。

これらは「分類をしている」ように見えて、実際は浅はかな推論による差別を行っているに過ぎない。血液型の話に戻すなら「毛深いのにお酒弱いんだね」と言う事と「O型のクセに神経質なんだね」と言う事は全く同じレベルの浅はかさであり差別要因の温床にしかならない。

この問題に気づかない人たちは血液型の話で出てくる「芸能人には△型が多い」「政治家には●型が多い」「スポーツ選手には■型が多い」という浅はかで幼稚な分析に「なるほど」と納得してしまっているのではないだろうか。

例えば「プロ野球界の通算打率ベスト60を見る何とB型の選手が多いのです!」と聞いて「なるほど!血液型って不思議だなぁ」と感じてしまうなら、あなたはもう騙されている。

このような分析を行う者の思考と手順を考えてみよう。まず、彼らはプロ野球選手の血液型のデータからグルーピングを行ってみる。投手、野手、一軍、二軍、セリーグパリーグ、球団別、ホームラン数、打率、打点、防御率、勝利数、与四死球数、出身校、出身地、年齢など様々なグルーピングを行ってそれぞれ検証して、血液型の特徴が出るかどうか調べるのである。なかなか見つからない場合は、更に過去に遡って通算打率トップ30を見てみる。それでも有意差がなければトップ100で見てみる。あるいはトップ10に絞ってみる。などあらゆるカットで見てみて、その結果例えば「通算打撃成績ベスト60を見る何とB型の選手が多いのです!」という事を発見するのである。

さて、こうした末に発見された事を知ると改めて「プロ野球界の通算打率ベスト60を見る何とB型の選手が多いのです!」と言われても、今度は「なるほど!血液型って不思議だなぁ」とは感じなくなるだろう。

こうした破綻した統計学はシンプルな例で言えば「野球選手には短い髪の人が多く、サッカー選手には長い髪の人が多い。つまり短髪が好きな人は野球が上手くて、長髪が好きな人はサッカーが上手いんだ」と言っているようなものに近い。

たまたま見つけた共通項目に全て因果関係があると思い込む事は非常に危険である。無意識的にそういった「浅はかな」論理の組み立てをしていることがないか日常でも気をつけるべきだろう。

冒頭で端的な浅はかな推論の例として「黒人差別」を挙げたが、要するに浅はかな推論とは、さも論理的であるかのように組み立てながら単に都合のよい合致部分だけを抜き出して立証したと勘違いしている方法なのである。

むしろ外国人からすれば「黒人」のような、見た目で大きく判別できる事から差別が生まれる事は想像できても、まさか見た目では誰もわからない、身体の構造の、しかも、脳や意識とは何の関係もない、赤血球の抗原体の一部を見て差別が生まれているなど想像もできないだろう。「日本人は、そんな奇妙なところから人間の性格に違いが出ると思っているのか?」と呆れるに違いない。

ここまで読んで頂ければ推測できると思うが、少なくとも呆れられない為の検証を行うとするならば、他要因の排除検証も必要であるということだ。例えば、ABO式の血液型で分類し、何らかの実験結果が出たとするならば、それがその他の要因によるものではない。ということも同時に検証すべきだろう。

例えば、一見A型とB型で何らかの違いを見つけたとしても、実は「長男」にもよく現れる気質だった。実は「都会にしか住んだことのない人間」に現れやすい気質だった。というように、多様なプロファイルでの検証を行いながら整理しなければ、先の「毛深いから酒に強い」という誤った結論に導かれてしまうのである。

もちろん、こうしたプロファイルは切り口を変えれば無限に存在しその全てを検証することなどできない。そこで、一定の仮説「要因として考えられる事」を科学的・論理的に判断し、その土俵に上った仮説を検証対象とする事になる。

先ほどの酒飲みの例で挙げるならば
・毛深いか薄毛か
・男か女か
・若年か老年か
・兄弟がいるか一人っ子か
・体内の分解酵素の有無
・・・・
などなど様々な区分けを行った上で、その中の「毛深いかどうか」だけに焦点が当てられ結果的に「毛深い人間は酒が強い」と判断されることは、科学的に正しい検証方法とは言えない。調べるのは「毛深いかどうか」だけで良かったのだろうか?また、サンプルが「ある村の数十人だけ」であった場合に、それが真理を語るのに十分なサンプル数と言えただろうか?と検証方法を振り返らなければいけない。

この例では、一見、毛深い人に酒飲みが多い印象を持ったことから盲目的にそれだけを見て判断しようとした事に誤りがあった訳だ。

なぜそのような浅はかな結論に至ってしまうか。本来何かの事実を証明するには2つの筋道がある。

1.科学的に何かが発見される→これが事実かを実例で検証する→合致したことで事実だと認められる。
2.何か実例で傾向が表れる→これが事実かを科学的に検証する→合致したことで事実だと認められる。

浅はかな推論においては「何か実例で傾向が表れる」→「以上。それが結論」となっているのである。その先に事実かどうかを明らかにする検証はない。(ここでいう検証とは、単に何度か統計を取ってみる。という事ではない。その統計が事実化どうかを別の方面から検証する事である)

例えば高学歴の人を集めて共通項を探す。

・あれ、みんなまつ毛が長いな。
・大半の人の顔にホクロがあるじゃないか。
・背の低い人が多いな。

共通項を探すだけでは、何の因果関係を見つけた事にもならない。
だからそれらが「高学歴」である事の理由になるはずもない。

だから、それに気づかなければ誤った3段論法に騙される事になる。

①日本人は勤勉である
②日本人の髪の毛は黒い
③よって、黒い髪の毛の人間は勤勉である。
というような浅はかな論法だ。

ここまでで振り返ると冒頭の「白人の国々が黒人の国々より科学文明的なのは、白人は知的で黒人は馬鹿だからだ」との論理が「浅はかな推論」だという事を理解頂けると思う。この例は、その他の要因(つまりは文明の成り立ちや、自然環境、様々な歴史的要因)を無視して「人種」と「文明」という二つの共通項だけを無理やり結び付け、浅はかな推論によって結論づけた結果なのである。

皆さんが「血液型診断」を信じる根拠が「心理的効果」と「浅はかな推論による、誤った統計の捉え方」によって作られていないかどうかよく考えてみて欲しい。

誤った3段論法と血液型を絡めるとこんな感じだろうか。
①アメリカ人はハンバーガーが好きだ
②アメリカ人にはO型が多い
③つまり、O型の人間はハンバーガーが好きだ

あなたは「いくらなんでもバカバカしい」と思うだろうか?
それとも「おお!確かにそうかも!」と思ってしまうだろうか?

この項の最後として「パンは危険な食べ物」というものという有名なアメリカのジョークを紹介しよう。

パンが危険な食べ物である理由
・犯罪者の98%はパンを食べている。
・パンを日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である。
・暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きている。
・パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、後に水だけを与える実験をすると2日もしないうちにパンを異常にほしがる。
・新生児にパンを与えると、のどをつまらせて苦しがる。
・18世紀、どの家も各自でパンを焼いていた頃、平均寿命は50歳だった。
・パンを食べるアメリカ人のほとんどは、重大な科学的事実と無意味な統計の区別がつかない。


●血液型診断の問題点

さて、もしここまでで「確かに血液型診断の信憑性っていうのはいい加減なものかもしれないなぁ」と思い始めて頂けた方もいると思うが、加えて問題なのは「でも遊びでやってるだけだから」と事態の重さに気づいていない者がいる事だ。

多くの日本人が好み、話題にすることで、テレビや雑誌は更に取り上げて煽る。この繰り返しが「血液型診断」が世の中に大きく座する要因となっている。まさに日本人全体が「フリーサイズ」な特徴を「浅はかな推論」と組み合わせて「ラベリング」し、人々に「インプリンティング」している訳だ。

繰り返しになるが、私から見れば「B型の血を持つ者は自己中心的だ」と発言することは「ユダヤの血を持つ者は野蛮だ」「黒人は頭が悪い」と発言していることと全くイコールである。

一人一人が「こんな差別に結びつくオカルトなんかで遊ぶべきではない」と気づきさえすれば「血液型診断」によって、悩んだり、いじめられたり、差別を受ける者はいなくなる。

「遊びなんだから、そんなに目くじら立てる事ないじゃないか」と言う方もいるが、他人を傷つける遊びは遊びなどではないし、冗談でもするべきではない。

それによって悩んだり、傷ついた人がいるという事実を無視してはいけない。血液型診断を信じている採用担当者によって、採用か不採用が決まったり配属の際に優遇・冷遇される根拠になっているケースがある事を知るべきだ。そうした思いこみが後押しとなって、人間関係に一線を引かれたり、フラれたりする事がある事を知るべきだ。大人が与えた血液型信仰によって、小さな子供が差別やいじめに遭う可能性がある事を無視してはいけない。血液型によって、辛い思いをした。という人たちの声はインターネットで幾らでも見つける事ができる。

・このパワーストーンを持っているだけでお金持ちになれるんです。
・このつぼを買えば病気になりません。
・ユダヤ人は劣等民族です。
・A型の人は神経質なんです。

これらは全て等しく根拠も証明もない暴論である。共通項を探し出してこれが証明だと言い張ったり、いい加減な統計結果で傾向が現れたと言い張っているだけである。そればかりか、むしろ血液型は公式な調査・検証の上で事実性が見当たらないと何度も言われている。

しかもパワーストーンのように自分で信じて自分で満足する自己完結型、且つポジティブな効果のものを選別する方式と違って「血液型診断」は他人を傷つけたり、悩ませたりする分性質が悪い。要するに「黒人差別する事」と同じ、不当な差別表現なのである。

また開き直って「血液型診断は好きだけど、私は別に人を傷つけるような言い方をしたことはない」と言う者もいるかもしれない。

だが、そういう貴方を含め、この診断が好きな人間が多いから、雑誌やテレビでも人気を博し関連ビジネスが儲かり、ますますスパイラル的に世の中に浸透していくという事に気付くべきだ。その結果、歪んだ信仰、異常に信じすぎる者たちを作り出し、結果的に不当なレッテル付けが生まれる。

こうした大衆の思い込みが、知らず知らずのうちに蔓延し、あちこちで差別として人を傷つける事になる事実を知って欲しいし、貴方が血液型診断を肯定する事が、こうした事態を助長している事になるのだと気づく必要がある。

誰かが「ユダヤ人は血が汚い」と言えばそれを信じ、誰かが「あいつは魔女だ」と言えばそれを信じ、誰かが「B型は自己中心的だ」と言えばそれを信じる。「なぜ、そうなのか?」を考えることもせず、安易に、幼稚に、単純に信じる。

大勢の人が言っている、マスコミが言っている。「言われてみれば確かにそうだ!」そんな都合のよい思い込みを真実だと錯覚していく。

こうした盲目性が世の中に差別を生んできた背景だという事を知るべきだ。人種差別然り、部落差別然り、男女差別然り。血液型診断を信じて疑わない人間は、魔女狩りの時代に生まれていたら率先して「あの女は魔女だ」と思い込んでいる事だろう。

貴方が直接差別的発言をしなくても、その分類を肯定する事、信じることが既に差別をしてる事と一緒だという事に気づかなければならない。そして、それは「罪なことだ」という事を知らねばならない。

稀に、私が血液型判断を批判すると「あなたB型でしょ」と言われる事がある。B型の人間は、血液型で不当な扱いを受ける事が多いので血液型診断を嫌う人はB型に違いない。と感じるようだ。逆に言うと、そういう感覚があるのであれば、B型で傷ついている人がいる事をわかっている訳だからすぐにでも血液型診断で遊ぶのをやめるべきだと思う。

ちなみに私は先にも記載したがA型であり、別に血液型診断で不当な扱いを受けた訳ではないが間違った論理を振りかざして、どこかで誰かを傷つけている事に気づかない人間が不愉快なのである。

こう言うと「やっぱりA型か。A型だから理屈っぽく血液型診断の批判を語ってるんだね」なんて言われるかもしれない。結局、何型だって血液型診断を信じる人からは「全て血液型のせい」であり、ほとんどのA型の人間は私のような事を語っていない事を蔑ろにして当てはめようとするかもしれない。

私は黒人ではないが、黒人が差別される事を良しとしないし、同じく、私はB型ではないが、B型が差別される事を良しとしない。当たり前の事である。

だから「あなたはB型だからそんなことを言っているんだろう」なんて言われると本当に不愉快だ。この発言によって、本当にB型の人はもっともっと悔しい思いをしている事だろう。そういう嫌な思いをしている人がいることを、なぜわかってあげようとしないのか。日本人の血液型診断好きには本当に心が痛む。

もし悪気なく言ったとしても、それによっていじめられたり、勝手に人格を固定化して見られたり、仕事を与えられなかったりそういう経験をした事がある人間は、都度辛い気持ちになっているはずである。不用意に「あなた何型?」「B型?」「あーわかる」などという会話が、そうした心の傷や不当な差別による悔しさを掘り返しているんだという事を自覚して欲しい。

もし表面的には笑顔を装っていても、心の中で辛い気持ちになった人がいるかもしれないと想像して欲しい。

あなたが直接会話をした相手だけでなく、横でその会話を漏れ聞いて嫌な思いをした人がいるかもしれないと想像して欲しい。

あなたの血液型に対する発言は「黒人って知能弱いよね」と黒人が近くにいる場所で発言した事と同じだ。と気づいて欲しい。

「あなたに差別の気持ちがあるかどうか」が問題なのではない。

「事実無根の人格の決めつけ」が既に差別的行為なのだ。と早く気づいて欲しい。


●最後に・・・
海外で採用基準に「星座」を取り入れている企業があるそうだ。何でも「おひつじ座、おうし座、みずがめ座、やぎ座、しし座の生れの人」以外は採用してもらえないらしい。

この企業曰く「統計調査によれば、わが社の優れた最高の職員は全員この5つの星座の一つに当てはまると出ています。我々はこの傾向にそって社員を選んでいるに過ぎません。」

皆さんはこの企業をどう思われるだろうか?

私はこの企業の考え方に徹底して反対したい。私はしし座なので入社する権利があるが、もちろんこんな会社に入りたいとは思わない。「自分は入社しないからいい」ではなく、こうした理不尽を許容する社会があるということを問題視すべきである。

但し、これはこの企業が勝手にやっているだけなので、今のところこの企業外に余波はない。実は、血液型診断を信じて広く一般社会に広めている日本人の方が、この企業より余程悪質だ。そういう事実認識を日本人には持ってもらいたいと思う。