【結婚】披露宴を「祝福してもらう為の場」だと勘違いする人達
結婚式に続いて、次は披露宴。
披露宴とはwikipediaによると結婚(婚姻)を広く発表するため、親戚・知人・友人らを招いて催す宴会とある。
wikipediaが信用に足るかどうかっていうレベルでもなく「まぁ、そうだろうね」と共感できる定義だよね。
で、読んで字のごとく、披露宴ってのは自分たちの結婚を披露する。お伝えする。という事であって「自分たちの結婚を君らに祝福させてやろう」っていう高飛車なものではない訳。
本来であれば「私たちは結婚しました」という報告を関係する人たちの各家庭に出向いて、報告とこれまでの感謝と、これからのお願いをすべきだと思うね。でも、なかなか各家庭に出向くっていうのは現実的じゃない。
そこで、大変申し訳ないが、一堂に会する機会を用意するので来てもらえないでしょうか?とお願いしている訳だ。
本来自分で出向かなきゃいけないのに、ご足労願う事になる訳だからそれだけで本来は失礼な話。
そこで、せめてわざわざ来て頂いた感謝の気持ちとして、食事やお酒を用意しておもてなしをする訳だよね。そこには、新郎新婦の大きな感謝の気持ちがなきゃいけない。
さて、翻って一般的な披露宴を見てみよう。
「わざわざ来てもらってすみません。本当はこっちから伺わなきゃいけないんです。せめて、おいしい食事を召し上がっていってください。」
っていう気持ちがちゃんと反映されてるか?
新郎新婦が「みんなにお祝いしてもらいたい」って気持ちだけでやってないか?
でっかいケーキにナイフを入れ、ロウソクに火を点けてまわり、友達に歌を歌わせ、ドレス着替えてくるからと客を置き去りにしたまま席を空ける。下手すれば祝電の読み上げやお祝いの言葉が述べられているのに新婦は着替えに行ってるなんて事態まで起こる。
それらは、ひょっとして自分たちが「気持ちよく」なる為にやってるだけじゃないのか?
もしそうだとすれば、また結婚式と同じ問題意識を持って欲しい。
大事なのはHOWじゃない。WHATだ。
披露宴楽しそう
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どんな内容にするか
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あれしたい。これしたい。
これはダメ。失礼。無礼。
自分たちはどのようにして感謝の気持ちを述べ、結婚の報告をするか
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自分が訪問するか、それとも集まってもらうのか。
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真剣に考えて、やむなくみんなを集める方法を選択したい。
でも、自分たちの都合の為に、みんなを集めるというのは本来無礼なことである。
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代わりに、感謝の気持ちを込めて精一杯もてなすべきだ。
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じゃ、どのようなもてなしをしようか。
そこで初めてHOWが出てくる。この流れを勘違いしちゃいけない。
いろんなもてなし方があると思う。自宅に呼んで、自ら二人で料理を作ってもいいと思う。一生懸命練習して、自分で何か音楽を演奏するようなイベントを考えるのも面白いかもしれない。
そうした検討の結果、披露宴という形が出来上がるのであれば否定はしない。
みんなが持ち寄る一人数万円のお祝いを無駄にしちゃいけない。自分たちが気持よくなる為に、そのお金が使われるような事があるのは失礼だと自覚すべきだろう。
遠くから時間とお金を割いて来てくれた人に対して「自分がケーキにナイフを入れるところを見せる事」で感謝の気持ちが表せているのかどうか。「自分が30分退席してドレスを着替えてくる事」で感謝の気持ちが表せているのかどうか。これが自分たちが考えた「おもてなし方法」だと自信を持って言えるかどうか。吟味するべきじゃないかと思う。
ちなみに私の場合は、家族と一部の知人だけに報告する為に、結婚報告会という食事会を催した。これも本来はあまり乗り気ではなかったが、両親からの提案もあり自分が納得できる範疇で行った次第である。お祝いにお金も頂戴したが、最大限食事に還元できるようにした。こうした考え方について、結婚式同様、妻が同じ気持ちを持っていてくれた事は幸いだ。というか、むしろ妻の方が最後まで「やる必要ない」と反対していたのだが。
みなさんも、披露宴を行う時には今一度考えてみて欲しいと思う。何も奇をてらった、人と違う事をやれと言っているのではない。そもそも「何の為に」「何をするのか」それが出発点でなければいけないということを理解して欲しい。
多くの人間の時間とお金を遣わせるのだ。それだけの強制力をはたらかせるだけの価値と意味を理解しているのかどうか。自分自身がそれを理解できていない程失礼なことはないということを初めに知るべきだ。
その結果、披露宴の場で皆が祝福してくれるとすれば、それは素直に受け入れれば良い。